小学校のときに優秀だった子たちのことを思い出しながら、自分の子供の教育を考える。
私には子供が2人いる。
住居は都内で、私も妻も地方の出身だ。
当面は都内に居続ける予定であるので、子供の教育・環境については真面目に考える必要がある。
近所に祖父母が住んでいるわけではなく、共働きなわけで、妻も時短で働き続けるのだろうかとか思ったり。
私の個人的な考え(希望)なのですが、妻には仕事を続けてほしいとは思っている。
収入についてはとっても困っているというわけではなく、両親ともに働くことで社会のルールを家庭に持ち込むことが用意で、子供が社会に出る際に役に立つはずだと思っているからだ。
具体的に役に立つことはコレである、とは言いにくいのだけれど、
少なくとも、
-サラリーマンの父で、平日は朝早く夜は子供が寝てから帰宅
-妻は専業主婦
-プラスして父が土日によく仕事がらみの外出するタイプ
って環境で育った子は、どこか働くことに対して消極的で仕事ができない、あわよくば仕事したくない、どうやったらサボれるか、みたいな思考が主体になっている人が多いなと考えており、私の友人にはこのタイプはほとんどいない。なぜならつまらない人が多いからだ。
仕事ができることが別に偉いとは思わないけれど、ある程度稼げる能力は身につけてほしいし、別に自分のやりたいことを極めようとしても、勤勉性は何をするにしても重要なのだと思っています。
まとめると上記環境で育った人は怠惰な傾向があると思っています。37年生きてきた現在の感想です。
タイトルの本題についてですが、
大人になって成功しているか、この定義についてですが、
私としては一点、卑屈になっていないかということに尽きると思っています。
現状の環境、社会に対して卑屈になっていないということは、
その時点で超大成功しているか、将来の見通し・計画性があり進行中である、現状に対して一生懸命である、という状況だと思っています。
私は東北のちっさい「市」の出身なのですが、小学校のときにクラスに2,3人やたらとできる子達がいたような気がしています。この「できる」の基準ですが読み・書き・そろばんができる、という基本的教育内容をとりあえず伸ばした子たちで、くもん・そろばん教室・習字を習っている子たちが多かったと思います。
計算とかみんな早いから「すごいなぁ」とか思っていたものです。
この子たちが結構くすぶっているんですよね。
田舎に行ってたまーに遭遇すると、とにかく卑屈な発言が多い。現状に不満があるのならばなにかに挑戦したらいいのにと。転職活動をやって見る前に仕事がないとか言ってるのを聞くと、なんだかなぁとか思ってしまいます。
俗っぽく活躍しているということで、大企業やベンチャー企業、自営業でバリバリやってるとか、自分のやりたい仕事でなんとか食べて行けているという点で見てみると、少なくとも私も身の回りでは、この小学校のときに読み・書き・そろばんに特化していた人材は該当していないケースがほとんど。
この差はなんなんだろうな。
そろばんや習字、くもんについては悪とは思っていないのだけれど、それだけってのがダメなんだろうな。あくまでそれらがサブのサブくらいの位置づけで、優秀な子たちはやはり読書や考えながらスポーツしていたりってところが主だったんだろうなと。
いや、これはどうでもいい。
とりあえず言いたいことは小学校のときに読み・書き・そろばんに特化には自分の子供はしないでおこうってことだけです。